なぜ、貴方は出来て私は出来ないとなるのか?
なぜ、スピリチュアルのグループは、
1人の優れた人がいて集まる人にスピリチュアルなことを話、導き、教えるのだろうか?
それは聞いた話ではないのか?
私たちは、個人単位で、覚醒は起きるのではないだろうか、
学校と違い、知識や技術を仲間と切磋琢磨しながら学ぶわけでもない、そのスピリチュアルグループのリーダー的な存在は、話す。
ある高次元とのコンタクトをしたという内容について、、
しかし、それは日常でいうなら、
友達a子の友達らしい私は知らないb子さんが、
ある日a子を訪ねてきて、
すっかり話が盛り上がったと話してくる、
a子と私のトークと同じなのかもしれない。
私にはその盛り上がった内容は、
私には関係ない内容である。
スピリチュアルリーダーに話しかけてくる高次元の存在は、個人的な訪問をしていると考えるのが、まず1番目の段階としても、頷ける。
もし、まわりみんなに向け話しかけているのなら、なぜ、その人を囲んでいる、お馴染みのメンバーには、いつまでもプライベートでは話しかけないのだろうか?
君のとこにも行きました。
などとは、決していいそうにない感じが、
わかるのはなぜか。(そうだからだろうが)
なぜリーダーしか、話したらいけないのか。
そのような空気なのか?
リーダーを見てる羨望の眼差しは、
自分には到底無理だと信じているからではないのか?
もし、1人限定ならば、自分にだけ、当てはまることを話しているのかもしれない。
"私がa子に話した内容をそのまま使ってa子がセミナーを始めた。"なんて、おかしくない?
高次元の存在は、それを望んでいるのなら、もっと色んな人にも話しかけるのではないか。
スピリチュアルグループには、
おそらく、そう単純でない何かが、あると思う。
それから目を背けたら
いけないのではないかなと思う。
疑問を持つのは、
思いこみからの解放になるのだ。
今、それが、
促されている。