我が身さえ捧げることはできるか?
今までやってきた事、やりたい事をするために、何かを犠牲にしてしまう時がある。
それを大切に思えば思う程、
犠牲にした分だけ、
まるで我が身さえも、身を燃やしていくかのように
光を放つ。
だから、必ず成果は上がる。
経験したことから、それは言える。
そこから、後、、参考にしてほしい。
成果を上げて、喜びを感じる。
魂が震えるほど、嬉しい。
でも、冷静になっていくと、
無くしたものが与えてくれた喜びと比較する。
すると、あれ程の喜び、、たしかにそれは毎日が刺激的ではなくても、そこにあった時感じていた幸せとは、全く違う。
どんなに成果をあげても、
一緒に喜ぶことができない。
私は一体、、なにを求めていたのだろう。
それがわかると、
何もかも、いらないと思う。
神様、私にまたチャンスを下さい。
と、願い、、時の経過と変化には抗えない。
諦める。
大切なものを知るために遠回りしてきたことは、無駄ではないと思うけど、
私は、より早く、それができたのに
やらなかったのだから、
無駄といえば無駄だったのだ。
受け入れ、それを人に話していけば、
無駄にはならないかも。