Oh, My Love.

心にしまっておいた私だけの真実。私の名前を違う言語でいうと、oh, my loveでしたのでタイトルにしました。

災いからの学び

災いが何か"良いこと"を表すことはない。

災いの中が起きた中で神に守られた!ということはなく、神と絶縁状態であるから、災いになるということしか、学びはない。

 

神と繋がっていれば、

災いの中に置くはずがないのだから。。

 

それは、予感などによって、

知ることも無いくらいに、守られる。

 

そこだけは約束されていると思う。

 

 

 

アニメやゲームが語る世界?

日本や世界には、日本のアニメが生み出した世界に魅了され、大人のファンの方が増えています。

 

その色々知った上で考えるアニメは、また違う魅力があるのでしょう。

 

しかし、子供は、もっと素直に捉えています。

"あのアニメは、〜の世界そのものだ!"等とは繋げて考えないのです。

 

私はアニメはそれ以上でも、それ以下でも、またそれ以外でもないと思います。大人がアレコレ参考にできることは、一切ないと思います。

 

アニメに、深い意味を与えようとするのは、危険です。悪魔がヒーローに描かれ、悪魔が語る言葉に注目するようなのがアニメですから、あくまで、"ありえないけど面白いね"程度にしないと、子供が同じく深追いしたりして、真似をします。

 

すると、アニメが持つパワーが、膨らみすぎて、洗脳のツールになるかもしれません。

 

気をつけたいものです。

 

 

生き甲斐にすることは結婚を意味する

人生を不幸にした事件の解明や、犯人探しに人生かけている人がいますね。

 

同情しますし、正義という大義名分は、誰にも壊すことはできません。

 

しかし、私はこう思います。

"許せないものと戦うことは、一生を費やすことは、それと結婚しているようなもの"だと。。

 

もし、そういわれて結婚に例えられてもよいものをテーマにしているなら、何とも思わないでしょうが、中には、"違う!"と完全拒絶したくなるような嫌いなモノもあるかもしれません。

 

そうしたら、すぐに、やめること。

 

怨恨を理由に、人生丸投げしている人は、

それに囚われてるので、結婚生活くらいの時間を捧げているのですから、結婚といわれたらバカバカしくなるのではないでしょうか?

 

人生の映画のタイトルを、嫌なやつに奪われないようにしたいものですね。

 

 

 

聖書を呼んで思ったこと。

聖書読んだことありますか?

大変わかりやすい、バカでもわかるように、丁寧に書かれていますね。しかし、大事なことは、比喩で書いています。

 

誰が誰に書いたか、わからない人の手紙もありますね。

 

"聖書の内容は、真実でない"

と、いう人がいますが、それを聞いて私たちは一体どうしたらよいの?となります。

 

聖書がいいたいのは、

・神様がこう言っているのに、知っていながら何故それをするのか?

・神様がいうことを貴方は信じるか?

 

だけだと、思います。

その人を行いで見ているのですね。

神を信じているか、いないか、で振り分けたいので、基準として嘘でもなんでも素直に受け入れているかどうか、それが信仰と言われるものだと思います。

めちゃくちゃなことを信頼しろといっているわけではない、極めて優しいキリスト教が世界に受け入れられてるのですね。

 

1度は読んでみると、いいと思います。

 

私はかなりどハマりして読みました。

いい意味で、とても面白かったです。

 

 

 

 

 

 

 

The悪魔のパシリ、悪霊の必殺技

悪魔崇拝は、かなりのマニアックさがあり、

それだけかなり信ぴょう性がある形で行うのだろう。どう見ても、バカではなさそうな人まで悪魔崇拝しているから。そのような人が、モヤっとした煙を見たくらいで、悪魔と信じるわけがない。なので、悪魔崇拝はかなりの実体がある中で、専門書に従い行うだろうと思う。

 

が、問題は、悪魔のパシリの悪霊。

この方達は、何にも報酬ないので、人間が自主的に行うあることを狙っている。

 

罪悪感だ。

 

例えば、悪魔に魂売るということさえも、いつの間にかホニャララ説を聞いてきては、自分もあの時に実は売ったのかもしれない..何であんな悪いことをしたのか」と、実際やったかやっていないか、わからないような次元ではないくらい、ハッキリとした契約があるとは思わず、いつの間にか越えたかもしれない境界線を、自ら探し、罪悪感にひたる。。

 

この1連の動きを誘導しているのが、悪霊ですね。罪悪感は、1番の罪だと、ハッキリ神はいっています。罪悪感は、本来人間が持つべきものではなく、サタンが担当するものであるのに、サタンは、ずっと嫌いな人間に負わせているのです。

 

罪悪感が湧き上がる時、その切り替えポイントに注意して下さい。

 

悪魔は、よほど肝が据わってないと関われないと思いますが、悪霊はきっとウヨウヨしてます。

 

はー、キモっ。

 

罪悪感に襲われたら、神に相談してください。

許してもらえるように、救われるように、

清き貴方は、常に神に頼りましょう。

 

悪魔は神に愛されて溺愛されてる人間が、

ただ羨ましいのですから、

容赦なくベッタリしていましょう。

 

 

 

 

 

誰も先のことはわかっていない。

ネットで日々、陰謀論チャネラーが先を見越して話していますが、誰も先のことはわからないはずです。現に、当たっていません。

 

預言なら、聖書なら信頼できるかもしれません。聖書は、預言書であり、神の言葉である預言を私達民が一緒に実現していくことが神の意志だから。善なる力によって、です。

聖書は、サタンについて詳しく書いてあり、決して悪に導くような内容ではないので大丈夫です。悪は、〜な苦しみと、〜に続く痛みと、〜な..(略)により、必ず滅ぼす。

と、明記しています。

聖書っぽく、似せた預言で世の中を恐怖に陥れるようなものは、イルミナカードですね。

あれは、故意に悪事の計画を実行しているだけで、預言というより、、聖書とは質も量も全く違います。いかにも、悪に満ちた内容のみで、トランプのカードでいえば、ババが全て。みたいな、感じですね。

悪のセンスは非常に悪く、一目見たらわかります。

チャネラーさんは、次みたら、サイトが消えています。これは、悪が住みにくくなっているよい兆しです。

 

必要な情報は、自分だけに届けられる。

それは、みんなに起きている。

隣の家に届いた手紙を、読みたがることや、

自分に届いた手紙を、人に見せますか?

 

情報は、ひけらかしたりしなくても大丈夫なんです。

貴方だけにくるものです。

それを貴方は、届けたい人に送るのです。

 

 

神と悪の見分け方

まず、イエスキリストである神の子は、人の子として、地上に生きました。これは、私達に神の存在を確かにした証でもあります。

 

そして対する、

悪とは、”神と私達(神の賜物を宿す)人間を、引き離すもの全て”に在ります。

例えば、その教えを読んでいて、愛を信じられなくなったり、気持ち悪くなったり、神なら言わないだろう下劣なことをいっていたり、神を侮辱するようなことをしていたり、、そのように、私達が神の愛に近づかなくなるような罠をしかけているもの全てが悪です。とにかく、何かしら分離させようとします。

神の教えは、逆で、人と人を愛で繋げていくことを推奨してます。表現は、メタファーであり、読む人の心に届きます。