Oh, My Love.

心にしまっておいた私だけの真実。私の名前を違う言語でいうと、oh, my loveでしたのでタイトルにしました。

好きな人と嫌いな人を間違える人

好きな人も嫌いな人も同じくらい考えるというのは、ある意味危ないこと。 なぜなら、認知の歪みや、他の体験からくる要因が癒せずにいると、 嫌いな人を好きだと思い、 好きな人を嫌いだと思うことも有り得る。 私は嫌いな人のことなど、気分が悪くなるから考えないのだけど、それはある意味真に嫌いではないのかもしれない。 嫌いな人のことを、絶え間なく考える人も、実際にいることは、心理的にそうなってもおかしくないのだという。 好きな人を嫌いだと思えば、気分が悪い状態が続き、 嫌いな人を好きだと思えば、さらに長引く不幸になる。 この歪みがないか、 チェックをいれるならば。 嫌いだと思う人は、貴方をどのように扱ったか、 好きだと思う人は、貴方をどのように扱ったか、 ここに、第三者を介入させたらいけない。 第三者からこう聞いた、とかは、貴方と相手の事実ではなく、また別の問題だから、脇におく。 大切なのは、2人、または2人を取り巻く空間において、実際に起きたやりとりと、過ごした時間である。 嫌いだと思うのは、なぜスタートしたのか? 好きだと思うのは、なぜスタートしたのか? 相手が貴方にしたことは、期待に反しただけでそれは貴方の中でしか分からない怒りではないか。 相手が貴方にしたことは、貴方を喜ばせようとしていたか、または、貴方を攻撃する明らかな敵意を受け取ったか、 そこは、どうだったか、今1度確認してみてから、 好きなり、 嫌いなり、 楽しめばよいと思う。 楽しめない、嫌なものなら、捨ててしまう。 わざわざゴキブリのいる部屋に、 気にしないふりしていることはない。 嫌いだと思っていたら、好きだったパターンは、 かなりキツイと思うけど、 もう相手からも既に嫌われている可能性は高い。 相手に念を飛ばしまくっていたら、人はキャッチし、嫌いになるものだ。 しかし、そこでやめたら、それこそ昨日までの自分と同じだ。気づいた時にしか、人はかわれない。 そして、死ぬ数日前まで、人は変われるのだ。 嫌いは、地球を救わないけど、 愛は、地球を救う。 貴方の勇気が、表現を躊躇わない姿勢をもったとき、 それは人生で必ず手にする幸せへの許可書と同じだ。